更新日:2024年11月20日
パチスロの歴史
パチスロの歴史を知るためには、1964年まで遡る必要があります。まだパチスロという名称は存在しなく、当時の東京オリンピック開催を因み「オリンピアゲームマシン」という名前で登場しました。
オリンピアゲームマシンとして唯一世に出たのが「オリンピアスター」です。カジノのスロットを参考に開発されたため、筐体右側には大きなレバーが取り付けられ、筐体自体も非常に巨大でした。
この時点でカジノにはないリール停止ボタンを採用した日本独自のスロットです。コインは存在しなく、オリンピアスターで遊ぶためには直接硬貨を投入する必要がありました。
もちろん払い戻しも硬貨なので、れっきとした賭博行為です。
当時の日本も賭博は法律で禁止されていました。しかし、オリンピアスターにはリール停止ボタンという「技術介入」があったため賭博機ではないと言い張り、警察から無理やり認可を得た形です。
当時人気のあったオリンピアスターも少しずつ下火となり、1977年、ついにパチスロ0号機時代が到来します。
本記事では、号機別そして年表を見ながら、パチスロの歴史を遡っていきます。
そして記事後半では、パチスロの歴史を踏まえた将来像としておすすめのオンラインスロットを紹介しています。
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号機別パチスロの歴史
パチスロの歴史は0号機から始まり、制限や規制の撤廃などを繰り返してパチスロの新基準機が登場し、現在の6号機に至っています。
規制がなく何でもありだった0号機時代、裏モノ全盛期の3号機時代、伝説の爆裂4号機時代、パチスロブームが奈落の底に落ちた5号機時代など、パチスロの歴史は常に変化を続けています。
以下に0~6号機別で、パチスロの歴史を振り返っていきます。
パチスロ0号機の歴史
パチスロ0号機時代は1977年に始まりました。規制や制限がほとんどなく何でもありだった時代、最初にリリースされたのが「ジェミニ」です。
ジェミニは1ゲーム最大3枚、横3列斜め2列というパチスロの原型となったマシンです。当時のホールでは「アメパチ」と呼ばれ、一部のプレーヤーから支持を集めていました。
その後、1980年に「パチスロパルサー」がリリースされ、大量リーチ目を採用。人気が急加速し、一般的な遊技機として認知され始めた1985年に風営法が施行されました。
この風営法が施行される1985年前までに作られたパチスロが、全て0号機に分類されます。
【0号機の代表パチスロ】
- ジェミニ
- パチスロパルサー
- リバティベル
パチスロ1号機の歴史
パチスロ1号機時代は「吸い込み方式」を採用し、パチスロごとに決められた規定枚数を飲み込むと、ボーナスゲームが強制的に成立します。
前回ボーナスが終わった直後に次のボーナスまでの吸い込み枚数が決定するため、確率抽選という概念がありません。ゲーム数で管理されたストック機と似た仕様と表現した方がわかりやすいかもしれません。
しかし、相次ぐ不正改造機の蔓延により、3年で1号機時代は終焉を迎えます。
【1号機の代表パチスロ】
- アメリカーナXX
- パルサーXX
- プラネット
- ニューペガサス
パチスロ2号機の歴史
パチスロ2号機時代になると吸い込み方式に規制がかかり、フルーツの集中やシングルボーナス、JACゲームなどが主流になりました。
特に、パチスロプレーヤーから人気を集めたのがフルーツの集中です。適当にリールを止めるだけで面白いように小役が揃い、いつ終わるかわからない出玉性能が魅力でした。
しかし、爆発力から来る射幸心の煽りが問題になり、2号機時代は2年で幕を閉じました。
【2号機の代表パチスロ】
- センチュリー21
- アラジン
- スーパーバニーガール
パチスロ3号機の歴史
パチスロ3号機には、フルーツの集中に規制が入り、集中役を搭載する場合にはパンク確率を最大1/300以内にしなければいけなくなりました。
これにより爆発力が大幅に下がり、パチスロプレーヤーが離れ始めます。
しかし、ホール側も黙って下火を眺めていられず、ここで「裏モノ」が登場します。基板の交換やRAMの書き換えが全国的に行われ、2号機を超える爆発力を手にしました。
まさに裏モノ全盛期でしたが、そんな様子を警察が放って置くわけもなくパチスロ台の大規模な点検作業と撤去が相次ぎ、いよいよ伝説の4号機の歴史が始まります。
【3号機の代表パチスロ】
- コンチネンタル
- スーパープラネット
- アラジンⅡ
- ドリームセブン
パチスロ4号機の歴史
パチスロの歴史を語る上で絶対に欠かせないのが、伝説の4号機時代です。
3号機よりも規制はさらに厳しくなりましたが、パチスロメーカーの巧みな開発能力により、規制の抜け道を付くことに成功します。
AT機やST機の開発により、設定6で機械割150%を超える超爆裂機が登場。
時速10,000枚、711枚BIGの連チャン、50,000枚出るまで止まらないAT、営業終了まで終わらない永久ATなど、メーカーのやりたい放題が続きます。
パチスロ全盛期を迎えた4号機時代は、4.1号機、4.5号機、4.7号機と細かく規制がかかっていき、約15年経過した2007年、全てのホールから4号機が撤去されます。
【4号機の代表パチスロ】
- ミリオンゴッド
- アラジンA
- サラリーマン金太郎
- 北斗の拳
- 吉宗
パチスロ5号機の歴史
4号機時代が終焉を迎える2年前の2005年に登場したのがパチスロ5号機で、ここから5号機の歴史が始まりました。
短時間での出玉制限に加え、JACゲームやストック機能などが全て禁止になりました。
可能になったのはボーナスと小役の同時成立ですが、それでも当初の出玉はかなり抑えられ、万枚は夢のまた夢という状況に陥ります。
結果的に5号機を受け入れられないプレーヤーのパチスロ離れが急加速します。
しかし、規制も少しづつ緩和され、純増2.7枚のATやサブ基板制御のATなどが可能になり、終盤には4号機に勝るとも劣らない出玉性能を持つ5号機が登場します。
【5号機の代表パチスロ】
- 新世紀エヴァンゲリオンシリーズ
- 押忍!番長3
- アナザーゴッドハーデス – 奪われたZEUS Ver.
- ミリオンゴッド 〜神々の凱旋〜
パチスロ6号機の歴史
2018年、規制を緩め過ぎた5号機に変わり、再び規制を厳しくした6号機が登場します。
6号機の規制では、1回の大当たりでの出玉に制限が入り、一定枚数以上出るとその日の営業(対象の筐体のみ)が終了する仕様になりました。
6号機は勝てないとも言われ、完全に終わりかけたパチスロ人気ですが、メーカーで自主規制の撤回が相次ぎ、純増10枚のAT機やパチスロの有利区間とはどうあるべきか解釈変更されたことにより、現在では再び人気に火が付き始めています。
また、6.5号機以降にメダルレスパチスロとして登場したスマスロは有利区間が廃止されており、更なる進化が期待されています。
【6号機の代表パチスロ】
- SLOTバジリスク~甲賀忍法帖~絆2
- パチスロ モンキーターンⅣ
- パチスロ頭文字D
年表で見るパチスロの歴史
ここからは、パチスロの歴史を年表で振り返ります。
まだパチスロの制限が確立されていなかった3号機時代までは怒涛の改変が行われますが、4号機に入ると細かな規制のアップデートが繰り返されます。
年 | 出来事 |
---|---|
1964年 | オリンピアゲームマシン登場 |
1977年 | ・パチスロの原型「ジェミニ」登場 ・0号機時代に突入 |
1985年 | ・風営法の施行 ・1号機時代に突入 ・吸い込み方式の採用 |
1988年 | ・2号機時代に突入 ・吸い込み方式の撤廃 ・集中役やシングルボーナスの採用 |
1985年 | ・風営法の施行 ・1号機時代に突入 ・吸い込み方式の採用 |
1990年 | ・3号機時代に突入 ・裏モノが蔓延 |
1992年 | ・4号機時代に突入 ・JACゲーム、期待値方式の採用 |
2001年 | ・4.1号機の登場 ・ストック機能、AT機、711枚機が主流 |
2002年 | ・4.5号機の登場 ・AT機の禁止 |
2004年 | ・4.7号機の登場 ・さらなる規制の強化 |
2005年 | ・5号機時代に突入 ・JACゲーム、ストック機能の禁止 |
2018年 | ・6号機時代に突入 ・有利区間の搭載と出玉数の制限 |
海外でのパチスロの歴史
パチスロは日本国内だけでなく、アジアの一部地域でも遊ばれていました。
海外で最初にパチスロのホールができたのは2000年頃の韓国です。しかし、ギャンブル依存症を招く原因と判断され、2006年には法律でパチスロが禁止になりました。
現在海外で遊べるのは台灣とベトナムが有名ですが、台灣に存在するパチスロホールは全て違法営業です。いわゆる裏パチスロ店なので十分に注意する必要があります。
ベトナムにパチスロ店が上陸したのは2022年4月で、現在でも日本人と韓国人から高い支持を集めており、連日大賑わいを見せています。
パチスロの歴史を踏まえた将来像
日本では国民的ギャンブルとして人気のパチスロですが、その歴史を振り返ってみると、少しずつ将来像が見えてきました。
ここまでの説明の通り、パチスロは常に規制と緩和を繰り返し、現在では6号機時代を迎えています。
規制こそ厳しくなるものの、パチスロは進化を続けています。
そして、インターネットが完全に普及した現在、次世代最新パチスロとして日本人プレーヤーから人気を集めているのがオンラインカジノで遊べるパチスロです。
実機遠隔操作型のオンラインスタイル
実機遠隔操作型のオンラインスタイルパチスロこそ究極の次世代最新パチスロの1つです。これは、専用のスタジオに設置されたパチスロを、パソコンやスマホを使って遠隔操作するタイプです。
本物の実機を使っているため、ゲーム性はホールで遊べるパチスロと全く同じです。
遠隔操作なので多少のラグはありますが、十分に許容できる範囲内なので、目押しテクニックも通用します。
【実機遠隔操作型のパチスロで遊べるオンラインカジノ】
クイーンカジノは、2023年にリニューアルしてから、新たにパチンコとパチスロを導入しました。現在は、300以上のパチンコとパチスロ機種を取り揃えています。
ホールで遊べないCR機や4号機、5号機もあるので、現行機に飽きてしまった人にもぴったりです。
K8カジノは、仮想通貨カジノとして、どんどん知名度をあげているオンラインカジノです。
パチンコゲームの取り扱い数は150以上と、豊富に揃っています。
パチンコ、パチスロゲーム限定のキャンペーンも随時開催しているので、ぜひ参加してみましょう。
海外拠点運営型のオンライン機
海外拠点運営型のオンライン機には、パチスロ風スロットとパチスロと全く同じゲーム性を持つタイプと2種類があります。
海外のゲームプロバイダーが開発したパチスロが、今多くの日本人プレーヤーから絶大な支持を集めています。
パチスロ風スロットとは3リール5ラインのリール構成で、継続率で管理されたラッシュの連続や上乗せ特化ゾーン、ボーナス予告など、まさにパチスロそのもののゲーム性を実現しています。
ただし、ストップボタンは存在しなく、カジノのスロットのようにリールは自動的に停止します。
そして、パチスロと全く同じゲーム性を持つタイプのオンライン機は、伝説の4号機や名機をオマージュしたパチスロが多く、ストップボタンも搭載しています。
パチスロ風スロットは、多くの人気オンラインカジノで導入していますが、パチスロと全く同じゲーム性を持つタイプのオンライン機は、ベラジョンカジノのパチンコ館で遊べます。
【パチンコ館で遊べるゲーム】
まとめ
今回は、パチスロの0号機~6号機までの歴史と、そのパチスロの歴史を踏まえた将来像などについて詳しく解説しました。
パチスロの歴史は1964年まで遡り、パチスロの原型となった0号機は1977年に誕生しました。まだまだ試行錯誤の時代でしたが、パチスロのゲーム性は現在とほとんど変わりません。
時代が変わるごとにパチスロ離れも幾度となく訪れていますが、輝かしい歴史は繰り返すものです。
4号機時代に終焉を迎えたかのように見えたパチスロも、5号機終盤から6号機にかけて再びブームが訪れており、パチスロの人気機種も続々登場しています。
パチスロは現在でも進化を続け、ついにオンライン上でも楽しめるようになりました。
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小山道也
カジマル編集長担当、オンカジ業界専門家
オンカジ業界経験10年超。コンサルタントとして就業した後に、欧州でビジネス修士号を取得。そして、海外マーケテシング企業にて、オンラインカジノのメディア立ち上げに携わり、今に至る。 論理思考や分析思考をもとに、入金不要ボーナスをさまざまな観点で解析し、読者に分かりやすく解説するのが得意。独自のレーダーチャートは、その他メディアでも参考にされ業界の標準化にも貢献した。当メディアの運営以外では、オンカジサイト立ち上げ時の外部アドバイザーとしても活動している。
斉藤亜季
コンテンツ制作担当
オンカジ運営側でカスタマーサポート、キャンペーン企画、マーケティング、そしてトラブル対応など多岐に渡る役割を経験。その後、幅広い経験が認められ、カジマル.comのエディトリアルチームに参画。 過去には、ホスピタリティマネジメントの学士号を取得し、実務経験も積んでいるため、顧客管理に対する知識が深い。そのため、利用者目線での分析を得意とする。オンカジ業界はまだサービス面での改善が必要であると考え、率直な批評もいとわない。