ホーム » スポーツのニュース » UFCとは|初心者でも楽しめる基本知識

更新日:2024年11月19日

UFCとは|初心者でも楽しめる基本知識

UFCとは

目次

  1. 1. UFCとは
  2. 2. UFCの始まり
  3. 3. UFCの暴力性と危機
  4. 4. UFC倒産の危機と売却
  5. 5. 「ジ・アルティメット・ファイター」の誕生
  6. 6. UFCがFOXと契約
  7. 7. UFCスター選手の誕生
  8. 8. UFCの2度目の買収
  9. 9. UFCがESPNと契約
  10. 10. UFC歴代ベストファイター

UFCとは

UFCのベルト

UFCとは、Ultimate Fighting Championship(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)の略称で、アメリカ合衆国の総合格闘技団体です。

それと同時に、当団体には、世界の総合格闘家が集まるため、総合格闘技において世界最高峰の試合を繰り広げられています。

現在、世界各国から600名ほどの選手が参戦しています。選手のナショナリティーは、実に58カ国にものぼり、試合が行われると172カ国、40ヶ国語で放送されます。

今では、アデサニヤ選手などがUFCの看板選手となって、盛り上げています。

以降で、UFCの歴史など、UFCにとって重要な出来事について紹介していきます。

UFCの始まり

UFCのリング

1993年、UFCは広告代理店役員のアート・デイビーのちょっとした思いつきによって始まります。

広告代理店役員のアート・デイビーは、格闘技をテーマとした「グレイシー柔術・イン・アクション」というビデオに影響を受け、空手、ボクシング、カンフー、キックボクシングなどの格闘家をノールールの試合で戦わせる8人制の格闘技トーナメントを開催することにしました。

そして、これは「War of the Worlds」と名付けられます。

このトーナメントでは、ブラジリアン柔術のロイス・グレイシーが優勝。「War of the Worlds」は、当初は1回きりの予定でしたが、ペイパービューが大きかったため、その後継続して開催されるようになりました。

この際、映画監督兼脚本家でグレイシー柔術を習っていたジョン・ミリアスがクリエイティブ・ディレクターに就任します。そして、アート・デイビーは資金を調達してWOWプロモーションズを設立することとなります。

その後、WOWプロモーションズは老舗ペイ・パー・ビュー配給会社のセマフォ・エンターテイメント・グループ(SEG)と1993年5月にパートナー契約し、大会の名称を”アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ”と命名するなど、UFCの基礎を構築していきます。

konibet-casino-review(無料のフリースピンボーナスが30回増量中)

UFCの暴力性と危機

UFCの試合

この頃のUFCはほとんどルールがありませんでした。ヘッドバット、髪を引っ張る、股間を蹴るなどの現在ではルール違反となる行為がすべて認められていました。

そのため、UFCのキャッチフレーズは 「There are no rules(ルールは一切なし)」であり、制限なく格闘家が戦う様子が多くの一般人を惹きつけました。そして、数十万という、ペイ・パー・ビュー(PPV)の契約数を獲得するなど、大きな成功に繋がってたのです。

しかし、UFCのあまりに暴力的な様子は一部の有力者からは反感を買い、ボクシング業界からの圧力が高まるようになります。

さらには、アメリカ共和党上院議員ジョン・マケインが、UFCは、野蛮で危険であるとUFC禁止を訴え、テレビでも呼びかけるなど、反対運動を起こすようになります。

その結果、ニューヨーク州を含む36州が総合格闘技を禁止する「ノー・ホールズ・バード禁止法」が制定されることになったのです。この決定により、UFCは規制が緩い州や海外に追いやられるようになっていったのです。

さらには、1997年にマケインが商業委員会委員長に就任すると、管轄下のペイ・パー・ビュー業界に働きかけ、それまでUFCのペイ・パー・ビューを放送していたケーブルテレビ会社を次々に撤退させていったのです。これにより、UFCは衛星報道でしか放送されなくなり、当初のような利益を得ることが難しくなっていったのです。

これにより経営状況が悪化したため、UFCコミッショナーのジェフ・ブラトニックとレフェリーのジョン・マッカーシーはアメリカ各地を巡って総合格闘技を啓蒙しつつ、ジョン・マケインに従うようにいくつかのルールを制定していくようになります。

まず1997年2月7日には階級制の導入、そして1997年7月27日にはオープンフィンガーグローブ着用の義務化しました。さらに1997年10月17日には禁止行為を指定、1999年7月16日にはラウンド制の導入を図り、ルールのもと競技を行うようにしていったのです。

このよう動きによりUFCの見方にも変化があり、ニュージャージー州がアメリカで初めて総合格闘技を認可するようになるのです。

最新の一押し最新の一押し(モバイル)

UFC倒産の危機と売却

2001年1月、この頃のSEGは倒産の危機に瀕していました。そこに、ラスベガスでカジノホテル「ステーション・カジノ」を経営するロレンゾ・フェティータとフランク・フェティータ三世、ダナ・ホワイトから売却の話が持ちかけられます。

そして、2001年にUFCが210万ドルで売却されます。その後、フェティータ兄弟はUFCを管理・運営するための親組織としてズッファを設立します。

この際、ロレンゾ・フェティータがネバダ州アスレチック・コミッションの元コミッション委員だったことにより、ズッファはネバダ州から総合格闘技としての認可を受けます。これにより総合格闘技の大会を開催を出来るようになったのです。この売却はUFCにとって大きなターニングポイントとなり、その後はゆっくりと成長していきました。

この際開催されたUFC40では15万枚のPPVを売り上げました。そして、ティト・オーティズとケン・シャムロックの試合を見るために、1万3000人以上の観客が集まり、MGMグランド・アリーナでの観戦チケットはほぼ完売となったのです。これにより、UFCは完全に倒産の危機を脱出することが出来たのです。

さらには、2002年6月にはFOXスポーツネットとテレビ放送契約を交わすなど業績を上げていきます。

「ジ・アルティメット・ファイター」の誕生

業績を上げていったUFCですが、この頃ズッファの投資額は3400万ドルにも上っていました。そのため、ズッファはペイ・パー・ビュー以外の新たな事業を模索し始めます。

それが、新人UFCファイターの発掘・育成をテーマとするリアリティ番組「ジ・アルティメット・ファイター」だったのです。

「ジ・アルティメット・ファイター」は多くのテレビ局から企画が却下されましたが、最終的には番組制作費の1000万ドルをズッファが自己負担するという条件でSpike TVで放送することが決定しました。

そして、2005年から「ジ・アルティメット・ファイター」の放送が開始。「ジ・アルティメット・ファイター」は開始後すぐに人気を集め、大成功を収めました。

そして、「ジ・アルティメット・ファイター」はシリーズ化され、28回までシーズンが続きました。

その後、「ジ・アルティメット・ファイター」の成功を受けて、Spike TVは、UFCの過去の大会からピックアップした試合を放送する番組「UFCアンリーシュド」とペイ・パー・ビュー大会のプロモーション番組「Countdown」の放送を開始。

さらには、2005年8月6日からは試合生中継番組「UFCファイトナイト」の放送を開始しました。これにより、UFCの注目度は高まり、ペイ・パー・ビューの販売件数は一気に増えていきます。

2006年12月30日のチャック・リデル対ティト・オーティズをメインにしたUFC 66ではUFCで初めてペイ・パー・ビューの販売件数が100万件超えを記録するなど、記録的な年となりました。

konibet-casino-review(無料のフリースピンボーナスが30回増量中)

UFCがFOXと契約

UFCの買収

2011年8月18日、人気を高めていったUFCはアメリカの4大テレビネットワークのひとつFOXと複数年の放送契約を結んだことを発表します。

そして、2011年11月12日には、初めてアメリカの地上波で放送されるUFCの試合として、UFC on FOX 1のUFC世界ヘビー級タイトルマッチ、ケイン・ヴェラスケス対ジュニオール・ドス・サントスが放送されました。

この試合は、平均視聴者数880万人を記録し、地上波で放送された総合格闘技の歴代最高視聴者数を更新しました。さらに、格闘技全体としても、2003年にボクシングで行われたレノックス・ルイス対ビタリ・クリチコで記録した平均視聴者数700万人を超える成功を収めることとなりました。

UFCスター選手の誕生

ダナ・ホワイトはUFCで女性が戦うことには反対をしていました。しかし、2012年末、UFCはついに降参し、ストライクフォース王者のロンダ・ラウジーと契約することを発表しました。これによって、UFCに女子部門が設立されたのです。

 

View this post on Instagram

 

A post shared by Ronda Rousey (@rondarousey)

ロンダ・ラウジーは瞬く間にUFC最大のスターとなり、その度に多くの視聴者を集め、UFCの収益の増加に貢献をしました。そして、ロンダ・ラウジーは初代UFC世界女子バンタム級王者として認定されました。

また、ロンダ・ラウジーがデビューした同じ年、コナー・マクレガーがUFCで初めてディエゴ・ブランダォンと対戦しました。コナー・マクレガーは、1ラウンドでディエゴ・ブランダォンを倒しました。

さらには、コナー・マクレガーは未来のチャンピオンとなるマックス・ホロウェイやダスティン・ポワリエ、当時のチャンピオンであるジョゼ・アルドをわずか13秒でノックアウトするなど、類を見ない活躍を見せたのです。

この頃はこのように多くのスター選手が多く誕生したことにより、UFCは多くの収入を得ることが出来たのです。

また、2013年には数十人の総合格闘技記者の投票によりランキングが決定するシステム「UFC公式ランキング」が制定されました。

最新の一押し最新の一押し(モバイル)

UFCの2度目の買収

2016年7月9日、シルバーレイク・パートナーズ、コールバーグ・クラビス・ロバーツ、MSDキャピタルが参加する共同グループが、40億2500万ドルでUFCを買収することを提案します。これはスポーツ史上最高額の買収額となりました。

この買収後もダナ・ホワイトは引き続きUFC代表として留まりましたが、ロレンゾ・フェティータは退任となりました。

UFCがESPNと契約

2018年5月23日、UFCはESPNと2019年1月からのテレビ放送契約を1年につき3億ドルの5年総額15億ドルで締結したことが発表されました。さらに、2019年3月18日にはESPNと2年間の契約延長で合意したことが発表されます。

これにより、2019年4月13日のUFC 236からはケーブルテレビと衛星放送によるペイ・パー・ビュー販売が廃止され、ストリーミング配信サービスESPN+の契約者のみにESPN+を経由しての独占販売に移行しました。

UFC歴代ベストファイター

UFCではこれまで多くの試合が行われ、多くのスター選手が誕生してきました。最後に、それらの選手の中でも、UFC歴代ベストファイターと言える選手を紹介します。

ロイス・グレイシー

 

View this post on Instagram

 

A post shared by Royce Gracie (@realroyce)

ブラジルの男性柔術家、総合格闘家であるロイス・グレイシーは、MMA界のベーブ・ルース的存在とも言えるでしょう。ロイス・グレイシーはUFCに出場することで、ブラジリアン柔術の威厳を大衆に知らしめました。

ロイス・グレイシーはUFC1からUFC3までのトーナメントで優勝し、最初の5大会は無敗を維持しました。
UFC初期のロイス・グレイシーの活躍がなければ、UFCは今日ように有名になることはなかったでしょう。

ジュニオール・ドス・サントス

ジュニオール・ドス・サントスは、UFCのヘビー級で戦った最も偉大なストライカーの一人だと言われています。ジュニオール・ドス・サントスは、UFCヘビー級ランキングで12年間の殿堂入りを果たし、3人の元チャンピオンを倒しました。

また、UFCのネットワークTVデビュー戦となったカイン・ベラスケスとの最初のタイトルマッチでは、UFCの人気をさらに高めることに貢献しました。

ホセ・アルド

ホセ・アルドは、MMA史上最も偉大なフェザー級ファイターの一人だと言えるでしょう。全盛期のホセ・アルドは、スピード、パワー、爆発力のすべてに優れており、多くの選手を圧倒してきました。

ホセ・アルドは同時代の145ポンド級のエリート選手をすべて倒し、この階級で最強の選手としてチャンピオンの座を勝ち取りました。

アマンダ・ヌネス

アマンダ・ヌネスはあらゆる格闘技において、史上最高の女性ファイターだと言われています。9年間のUFCでの活動の中で、アマンダ・ヌネスは6人の元UFCチャンピオンを倒しました。

さらに、アマンダ・ヌネスはUFCの歴史の中で、2つの階級のタイトルを同時に保持した唯一の女性ファイターとしても知られています。

bonus-hunterbonus-hunter-mobile

本ウェブサイトで紹介している情報は、編集部独自の厳正な評価及び分析のもとに収集した情報をまとめたものです。また、当サイトは、オンラインでの賭博が許可された国または地域にいる方に向けて情報を発信しています。国内での利用については、推奨しておりません。当サイトの免責事項を必ずご確認お願いします。

監修者兼ガイド

小山道也

カジマル編集長担当、オンカジ業界専門家

オンカジ業界経験10年超。コンサルタントとして就業した後に、欧州でビジネス修士号を取得。そして、海外マーケテシング企業にて、オンラインカジノのメディア立ち上げに携わり、今に至る。 論理思考や分析思考をもとに、入金不要ボーナスをさまざまな観点で解析し、読者に分かりやすく解説するのが得意。独自のレーダーチャートは、その他メディアでも参考にされ業界の標準化にも貢献した。当メディアの運営以外では、オンカジサイト立ち上げ時の外部アドバイザーとしても活動している。

プロフィールを見る
業界エキスパート

西尾昇

コンテンツ制作担当

ディーラーとしてゲーミング業界に携わる。その後、表舞台からは身を引き、コンテンツ制作に回り、ルーレットやバカラのゲーム解説や攻略記事をはじめ、オンカジ比較評価記事やボーナスの解説コンテンツの制作に従事。業界での人脈が広く、各社のキーパーソンと繋がっているので裏情報にも精通。カジマル.comでは、業界の隅々を分かりやすく解説し定評を得る。エディトリアルメンバーの中ではエキスパートとして立ち回っている。

プロフィールを見る